人助けが恐ろしい行為に変化してしまった!?

報道によると、とある学生さん2人組が人助けをして、警察署から表彰をされたそうです。
ところが、報道記事を読み進めて行くと、私は人を助けることに怖さを感じるようになりました。
人助けの概要は以下の通りです。
12月某日の午後6時頃。
10代後半の学生さん2人が話をしているところ、見知らぬ高齢女性から「助けてください。」と声をかけられた。
転んで足を痛めており、自宅の住所もわからない。
学生さんが警察や消防に連絡しようとすると、高齢女性は拒否。
そこで学生さんは高齢女性を背負い、女性の指示するままに歩いて、なんとか自宅にたどり着いて無事に送り届けた。
以上が概要なのですが、ここで奇妙なのは学生さんが女性を背負わなくてはならないことです。
人助けは素晴らしいことなのですが、助ける側が無条件に大きな負担を引き受けなければならないのでしょうか?
では、これがひき逃げだったとします。
学生さんは救急車を呼ぶことでしょう。
しばらくすると、ひき逃げ被害者のうめき声から「道路に立って交通整理をして欲しい」と聞き取った場合、体を張って担うべきでしょうか?
確かに、交通整理をすることは、路上に倒れている被害者保護の観点からは望ましい勇気ある行動です。
しかしながら、安全義務は後続のドライバーらに生じるものであって、目撃者に生じるものではありません。
高齢女性の実例に戻ります。
学生さんは警察などに通報するので充分です。本人の意思に従う必要性は必ずしもありません。
また、背負っていて学生さんが転倒してまい、高齢女性を巻き込んだらどうするのでしょうか?
助けるとは、大きく助けることだけを指すのであって、小さく助けることは冷血と見られなければならないのでしょうか?
高齢女性を助けたことは素晴らしいのですが、その方法には必ずしも賞賛を与えられません。
再び交通のひき逃げの例えに戻りますが、学生さんは応急処置もしなければならないのでしょうか?
そんなはずはありません。
これは私が困った側にあっても、相手に大きな支援を求めないように心掛けなければなりません。
相手に「100の助けを与えてくれ」と申して大きなハードルを作らず「可能でしたら5の助けを与えてもらえませんか?」と小さく頼むことを心がけなければなりません。
それが通用しないのであれば、もう助けるという行為が怖くなってしまい、見て見ぬふりしかできなくなります。
もし、私の考えに反感をお持ちの方は、次の行為をできるでしょうか?
月間の所得の100倍の金額を寄付できますか?寄付は人助けです。
月間の所得の100分の1ならできそうですよね?
これが小さく助けることだと思います。