本物とは何か?



「本物とは何か?」
と問われたときに、人はそこに正当性の存在を想像することと思います。
「この絵はゴッホの絵だと鑑定済みです。」
などのように、真贋がキッチリと線引きされている姿です。

しかしながら、既に鑑定済みのゴッホの絵と完全に瓜二つの絵が出てきたら?
「あの鑑定は誤りであり、偽物かもしれない。」
という疑惑が出てきた途端、絵の価値はだだ下がりすることでしょう。

いや待て。
疑惑が出てきた途端、(一応は鑑定済みの)絵が縮んだり、絵の具が剥がれ落ち始めたりするわけではありません。
良好な保管状態であれば、世の中がどう騒ごうが物質的には同じ状態にあるのです。

にも関わらず、絵の鑑定価格が変動してしまうのは、噂の影響によるものです。
つまるところ、絵そのものではなく、絵に対する社会的な評価が価値を上げも下げもしているのです。


次に偽札を考えてみます。
銀行に持って行こうが、専門家に見せようが、どこでも「本物だ」と認証されてしまう偽札があるとします。

となると、これで車を買えて、宝飾品も買えて、要は貨幣で購入できるものは、数さえそろえば何でも買えることになってしまいます。

発行元が中央銀行なのか、悪人のアジトなのか、雲泥の差があるものの、社会的通用度が同じであるためにマーケットでは同等の価値として取引されてしまいます。

こうなると、本物と偽物の差が見えなくなってきます。
よって
「本物ではない」
と言う表現は
「社会的な認定を受けていないもの」
とも言えるかもしれません。

こうなると、本質的なことよりも社会的関係性により、正当性の線引きが、どこにでも移動してしまうことになります。

人は心の中で正当性のストーリーを明確に書きたがることと思います。
真理としてはそれが正解なのかもしれません。

しかしながら、社会とは生き物なのであり、その変動による線引きの変化を見なければなりません。
モヤモヤは残ることですが、その変化を見なければ世に通用しなくなってしまいます。

本物とは何か?に対する題に、やや不本意ながらも私が出した結論です。