人に「変われ」と言って良いのか



自助会に出入りしていますと、有名人が出てきます。

有名人と申しましても、決してマスメディアに登場している人物や、ネットでバズっている人物ではありません。
その界隈で自然と話題になる人物が出てくるのです。

ここではサカイさん(仮名)という、この界隈の有名人を取り上げます。
実際の状況からはぼかしながら述べていきますが、私の大きな疑問はサカイさんの言動ではなくて、サカイさんへの周囲の投げかけです。


まず、サカイさんの特徴として
  • 落ち着きがない
  • 思い込みが強め
  • クレームが多め
が挙げられます。

簡単に説明したこの時点で
「なんだかトラブルメーカーっぽい」
と感じた方もいるかと思います。

これは的を得ています。
「サカイさん、自助会Aでスタッフから苦言をていされていたよ。」
「あははは、自助会Bではサカイさんに眉をひそめていた参加者がいたよ。」
といった、サカイさんのやらかし話を耳にするのは珍しくありません。

なるほど!
これは厄介者だ!
  と感じることには、私も同意できます。

しかしながら、自助会の運営側が
「サカイさんは、もっと落ち着けばいいのに。
あと思い込みの強さも改めて、協調性を持って、それと思いやりも持って。」
と、正論を言うことには疑問を感じます。

誤解して欲しくないのですが、私はサカイさんを擁護したいのではありません。
また、サカイさんがこれ以上、騒がしくすることを好ましく思っていません。

それでも、自助会の性質を考えますと、運営側の言うことには疑問を持たざる負えないのです。


自助会とは
  • 社会から除け者扱いをされてきた人が参加する場
  • 今の自分で参加できる場
  • 誰かが誰かを「こう変わるべき」と指導や矯正をする場ではない
という性質を持っています。

そこからしますと、運営側の発言には
  • そういう発言をするのは、運営側が「先生」だからなのか?
  • それは単なる同調圧力ではないのか?
  • 大きな目的が相手のコントロールではないのか?
といった疑問が出てきます。

勿論、運営上の困難な点の是正は求めても良いと思います。
  • サカイさんがしゃべりすぎて、他の人が話す時間が取れない。
  • 他の参加者にハラスメントをしている。
こういったことは、運営上の必要として申し出をすることは妥当です。

煙たい相手の問題行動にガードをすることは妥当ですが
「おまえ、煙たくないようになれ」
と言うのは、まず本人の人生の主体的な選択の無視であり、かつ発言者が相手に理想的人格の押し付けているという危ない行為になります。

こうなってくると、自助会ではなくなっており、むしろ
「ウチの会のルールへの適応所」
となってきます。

ましてや、自助会運営の基本であるI(アイ)メッセージを発する場として考えると、これはもう相容れないものです。

I(アイ)メッセージとは、例えば失敗をしてきた人が
「私はこんな失敗をしてしまった」
「私は泣いている相手を見て、大いに反省をしました」
などなど「私は」を語る場が基礎であります。
そういった人々の姿を見て、他の人も
「では私も」
と気づきを得るのが本筋であるからです。

決して
「あんたは、こうしなさい」
のYOU(ユー)メッセージの場ではないのです。


自助会は「無条件受容」を理想として語られやすいけど、実際には共同体なので、様々な制約を設けなければならない実情には納得できます。

しかしながら、I(アイ)メッセージから外れたことをしていては、もはや自助会の根本を否定するスタンスになっています。

更に踏み込んでみますと
「どうしてサカイさんは、ああなのか?」
ということを想像をしないのでしょうか?

ひょっとしたら、サカイさんが虐待を受けて育っており、その中で自分の意志とは無関係に身につけてしまったスタイルかもしれません。
あるいは、何らかの障碍が背景にあるのかもしれません。
それらをふまえて考察する必要性もあるかもしれません。

こう語りますと
「キタノさん、あなたは何と理想的な人だ。あははは。」
と冷笑されてしまそうです。
しかし、物事を考えるのって無料でできます。
基本的に道具も必要としません。強いて言いますと、メモ用紙とペンです。

決して私は
「高度な専門知識を持って対応すべし」
などと申しているのではありません。
物事や相手に対して、どのくらい真剣に向き合っているのかを見ているのです。
(これって、そんなに難しいことですか...?)

そうなると、人に「変われ」と申している現象に、私は違和感を覚えずにはいられないのです。