相手に話が通じることを期待して良いのか?



話をしていて奇妙でした。
とある居場所の副代表という男性と知り合い、運営について意見交換をさせて頂きました。
こちらも、居場所運営者の端くれ。自分なりの運営哲学を語ったところ、相手の方は
「めんどうな人は、さっさと追い出すべきです」
と言うのです。
更には
「管理はしっかりするべき。自由にやらせないほうが良い」
など、私が哲学を語るや即座に真逆の見解をぶつけてきて否定をしてくるのです。
会話には、やや緊張感を持つものとなりました。

同じ界隈で、同じような居場所を運営をしておきながら、こうも意見が大きく離れるのは何故なのか。
私には違和感だらけでした。

話しながら考えていたのですが、あることが脳裏に浮かんだのでした。

「かつて90円だったものが100円になってしまった。高いね!」
このセリフを現実で聞きましたら、どう思うことでしょうか?
たいがいの方は
「たかが10円の値上げでこんなことを言うとは、何とケチなことだ。」
と冷笑することでしょう。

しかし、そうであるのならば、それはあなたが大人であるからです。
ポケットには数千円が入っているからです。

10円の値上げをぼやくのが8歳の子であり、ポケットには150円しかなかったら?

私は、副代表の方のポケットの中を確認していなかったのです。
「副代表になられた経緯はどのようなものですか?」
私は語る内容を変えました。

それによると、彼は今までに順調な人生を送っており、スムーズに学生時代を終えてスムーズに社会人になったそう。
ところが数年前に外部的な理由で孤立した状態に陥ることに。
そんな中で居場所のことを知り、気晴らし程度に参加してみたこと。
ほどなくして、社会人経験を買われて副代表になった。

人生において悩む期間が長くは無かったのです。

こうなると、哲学をすることからは縁遠い道を歩いて来たと容易に想像できます。
「なぜ相手は困った行動をするのか?その背景は?」
「やりたい放題ではないが、大きく自由にやらせることの効用は?」
こういった、多少なりとも表層的では終わらない問いを彼は立ている様子が見られないのです。

長く困難を抱えてきた人間は、たいがい哲学の道を多少は歩むものです。
それは闘病する者が否が応でも医学書と向き合う姿に似ていましょう。そして、闘病生活が長くなるほど、医学の知識は増えていくのです。

これは私が深淵なる哲学者であると言いたいのではありません。
ですが少なくとも、長期の困難を抱えた生活を送って来ており、その中で「困難は哲学の母である」というテーゼを自分なりに導く生活を送ってきたことは確かです。

私と彼とでは、ポケットの中身が大きく異なっていたのです。
そして次に、私は彼に
「どんなことが大変でしたか?」
と質問をしました。
様々なエピソードを語ってくれましたが、まとめると
「風変わりな居場所の利用者はめんどくさいもんだ」
という横着の心理の披露でした。
しかしながら、風変わり人がめんどくさいのは事実であるので、私はそれを認めて行きました。

こうしてくると、彼との間の緊張感も引いて行き、やや和んだ空気が出てきました。
私は、彼のポケットの中身と釣り合わせることに成功したようです。

それほど長い時間ではありませんでしたが、彼なりの姿勢やエピソードを聞くことができて参考になりました。
しかしながら、彼はついに私のポケットの中を見ようとはしませんでした。

相手が自分と同じポケットを持つことは稀であり、完全な理解を得ることは困難だと思います。
しかしながら、相手のポケットの中を推測して語ることは決して困難ではありません。

そして、この推測をしたときだけが、話が通じる瞬間なのかもしれません。

*プライバシーの観点から、相手の男性についてはデフォルメをしています。