「お菓子の家」にたどり着けない幸福

童話を読んで、誰しも幼少期に1度は夢見たかもしません。
お菓子の家です。
甘く完成され、努力なしに幸福が約束されているように見える、欲望が描き出す目的の象徴です。
森の中に行ったときに、冗談半分に探した経験がある方もいることでしょう。
しかしながら、見つけた人など存在しません。
他方で我々は、お菓子の家を探しに失敗していながらも、重要なことを得ています。
頑強な肉体です。
「なんだそれは!結果を得られなかったことの、負け惜しみではないか!」
と、冷笑されることでしょう。
そうかもしれません。他方で、間違ってもいると思います。
そもそも、甘く完成された結果そのものが、幻想でしかないのです。
もっとリアルに言いますと
「首都に行けば、都会的で洗練された魅力ある人物と恋仲になれる。」
そんなことを期待する人がいます。
これと同じ構造を
「ニューヨークで」
「パリで」
と語る人もいます。
勿論、冗談を交えている人も多いと思いますが、期待感ゼロで語っているとは到底思えません。
都会は人口が多いので、確かにイケメンや美女の絶対数は多くなることでしょう。
しかしそれは、洗練されておらず、清潔感に欠け、性格の暗い人が、都会に行くことで恋愛の華になれることを約束するのでしょうか?
「無理だね。努力しないと!」
と感じ、筋トレやダイエットを始める人も多いものです。
しかし、それでも良縁にめぐり合えるとは限りません。
なぜなら、素敵な相手にめぐり合るかどうかは、完全外部の事情に左右されるからです。
いや、何もこんなハードな努力を例にしなくても、我々は日々において痛感しているはずです。
お金持ちを夢見て、お仕事やアルバイト、最近では投資を始めます。
ところが、どうでしょう?
期待通りのものとなっていますか?
(そうなれた一握り方は、おめでとうございます!)
つまるところ、我々は幻想を見て動き、結局は様々な経験を積んだ己を発見するにすぎないのです。
しかし、幻想が崩壊したからこそ事実を見ることができたのであり、自らの努力という痕跡は実在することを痛感し、それこそが最大の果実であることを発見できるのではないでしょうか?
そもそも、楽してお菓子の家を手に入れられた人の、どこが尊いのでしょうか?
古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは
「幸福は活動それ自体の中にある」
と言います。
失望は単なる損失ではありません。逆説的ですが、失望の生産的側面があるのです。
目的が存在しない失望を受け止めると同時に、その過程で得たものも受け止めるのです。
究極的に言いますと、人生とはこのようなものかもしれません。