常識が通用しないことは、不可解ではない?



物体AとBがあるとします。
Aの汚れ具合は100、Bの汚れ具合は20だとします。

食卓に汚れた物が載っているのは好ましくないことですが、AかBのどちらか1つを食卓に載せなければならないとしたら、どちらを選ぶか?
ここは、まだマシであるBを選ぶことでしょう。

しかし、AとBの正体が
A:5年間使用していて洗濯していない手袋
B:新品で500m歩いた靴(トイレには行っていない)ならば?
なお、この汚れ具合のスケールはAIが計算して算出したもので、私の考えは入っていません。

この場合は、靴が置かれていることを拒絶する方向に走ることでしょう。
靴の方が、まだマシな汚れ具合なのに。

「手袋だって汚い」
と考える方が出てくると思います。
しかし
「どちらも床に置いてよい」
とされて、手袋を床に置くでしょうか?

これらの判断は、常識的な判断が崩れている例に思えてなりません。


ですが、これを不可解と呼ぶことは早計だと私には思えます。
人の行動とは、データなどの常識的なことだけではなく、正しくなかろうとも、今までの習慣や動作による蓄積が、思いがけないデータに反論したり拒絶することが無意識に脳内で発生しているのではないでしょうか?

そうであるとするならば、理解するとは身体性を伴う行為であり
「なんで相手に常識が通用しない?」
という場面は、相手の身体に蓄積された判断体系にまだ接続できていない段階にあるのかもしれません。

ですので、靴が食卓の上にあることを拒絶するのは「汚い物を嫌っている」のではなく「その物に対して身についた扱い方」を維持したいがためになるのです。

となると、事実単体だけで考えることが適切なのかも、疑問になってきます。

例えばケチャップを考えます。
ホットドックの上にあれば、嬉しいもの。
食後に唇回りについていれば、恥ずかしいもの。
シャツに付いていれば最悪なものです。
同一のものが、場面において意味合いが大きく異なります。

この関係式を、先ほどの靴と手袋に当てはめます。
  • おろしたての靴 × 食卓 = 強い拒絶
  • 汚い手袋 × 食卓 = 靴ほどの拒絶が生じない
常識だけではなく、その事実を取り囲む習慣(相手の経験歴や地域の歴史性)も見なければ、話を通用させることは不可能なのだと思います。

したがいまして
「どうして相手に常識が通用しない?」
とは、2段階式ロックの内、第1段階までしか到達できていないのと同じなのだと思います。
そして、この段階で断念する人は意外と多いのではないでしょうか?

そして、第2段階に進んだとしても、衝撃的なことが発生するかもしれません。
「君が靴が食卓に置くことに反発することは理解できた。しかし、新しいから良いではないか。」
と反論されるかもしれません。
事情を理解することと同感であることは、また別物であるからです。
なぜなら、相手の経験体系が自分とは異なるからです。

ゆえに
「どうして常識が通用しないのだろう?」
というセリフが、本質を突いているのかは疑問に思えてなりません。
そもそも、常識が通用しないのではなく、常識だと思っていたものが共有されていなかっただけなのではないでしょうか?