相手のことを生き物ではなく部品だと思っている



人は大なり小なり、相手のことを加工したがるものです。


17世紀のヨーロッパにおいて、地球が平らだとすることが正しいとされていました。
ガリレオは天体観測を重ねて地動説を確証するに至ったものの、イエズス会の宣教師たちにより宗教裁判にかけられて地動説を公には撤回するに至りました。

当時の宣教師たちはさぞ満足であったことでしょう。ガリレオの日々の研鑽を無視して、自説の撤回に追い込めたのですから。


スペインは自国と地続きである、イギリス領ジブラルタルを自らの領土と主張しています。
そのため、スペインの学校教育においては、ジブラルタルに対するスペインの主権を主張していることが強調されているそう。
(*筆者は現物のスペイン教科書を見て確認したことはありません。あくまで一般の情報を元にしています。)
しかしながら、当のジブラルタルに住む住民たちは、1967年と2002年の投票においてイギリス領であることを望むことを多数だと示しています。

とは言え、スペイン政府としてはスペイン国民に
「ジブラルタルはスペインの領土ですか?」
と問うたら
「Si(シー。スペイン語でイエス)」と言う国民を作りたいのです。

何のことはない、これは領有権問題を抱える全ての国に見られることです。


イエズス会とスペイン政府は、相手や国民に対して望む通りの返事をさせたいことがうかがえます。

しかし、こういった流れは日常生活においても見られます。

会社の重役が
「今日は大事な接待だ。女性たちは、相手の男性の隣に座るんだ。」
と主張する。
当の女性たちは渋々
「わかりました。」
と返事をする。

サークル活動において
「きちんと口座を作って会計管理をしましょうよ。」
と提案すると、リーダー格が
「そもそも、お金のやり取りがほとんど無い。そこまで必要性があるの?」
と一蹴する。

つまるところ、相手が何らかの見聞(正誤はともかく)ゆえに主張している事柄を、自らの心地よさを求めるために叩き潰す。
あるいは望み通りの回答を発するよう求めたり、更には虚偽で「相手がそう言っていた」と主張することも私は見聞きしています。

これらは、相手が独立した意見や経験を持つ生き物と実践的に認めておらず(仮に「認める」と申しても口先だけ)、むしろ自らの主張を拡張する役割を担う部品であることを望んでいるとしか思えません。

しかし、そのような行動をとる人と闘うことを私は勧めません。
なぜなら、その人をあなたのことを生き物だとは思っていないのです。繰り返しますが部品だと思っているからです。
自らの都合の良い流れに沿うべく加工したがっているのですから!

中には徹底的に戦う人もいます。
ミャンマーの民主化運動指導者、アウンサンスーチー氏は軍事政権と徹底的に戦っている人物です。
現地を訪問した日本の国会議員から
「あなたは堅すぎる。もっと国軍と付き合うことを考えたらどうか」
と苦言を呈されたそう。
(10月7月2025年 朝日新聞 9面より引用)

ですが、究極的なことを申します。
あなたを部品と見なしてくる人物も、また生き物なのです。
実に恐ろしいことです。

私に言えることはこれだけです。
相手を部品だと思うのは危険だ。生き物だと見るのを推奨します。